このホームページは2009~2017年まで開催された、
旧DCTMダイチャレ東北ミーティングの記録です。
【2017年までの公式ギャラリー、レポート、リザルト】「DCTM公式リザルト/レポート」
DCTMとは?
ズバリ。
「普段のお買い物グルマからフルチューンまで!」
「軽トラからレーシングカーまで!」
「免許取りたての初心者マークから、いつまでもドキドキする気持ちを忘れない紅葉マークまで!」
「ペーパードライバーから、現役レーサーまで!」
何でもアリの「クルマの大運動会」です。
冗談でも何でも無く、下は自転車(!)から、上はランエボやインプレッサWRXまで走ります。
記録に残らないフリー走行まで含めるなら、デリカD5やセルシオだって走ってます(笑)
今まで断ったのは
「5歳の男の子の三輪車」
だけで、それもゴールするのに時間がかかりすぎるから、ちょっと・・ってだけの理由。
車両規則もユルイです。
一言で言えば、
「安全性に関わらない事なら、何をしたっていいです。ほぼ改造無制限!」
走るのに制限あるのは、幌のオープンカーはロールバー組まないとダメですよ、くらいでしょうか。
(硬い屋根持ってるオープンカーは、屋根閉めればいいです)
走るのは4ヒート(4回)。
その合計タイムで競います。
1回だけ速くてもダメだから、単純に一発の速さだけじゃー上位にはなれません。
というか、そもそも"DCTM"でエライのは速くて上位に入るヒトではなく。
「その日を楽しんだヒト」
が一番エライ!
そんなイベント。
だから「モータースポーツ」というより「モーターレジャー」目指してます。
単純な速さを競うだけじゃなく、家族や仲間と一緒に一日、サーキットでワイワイ楽しい時間を過ごしてほしい。
そして、ただギャラリーしにきた人にも、気が向いたら走って、サーキットで走る事の楽しさ、サーキットを走る自分という非日常性を味わってほしい。
だからイベント内には飛び入り参加OKな「フリー走行」の時間も設けてるんです。
"DCTM"は皆さんが楽しい時間を過ごす事を、応援するために頑張ります!
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DCTMの元になったのは「ダイハツチャレンジカップ」
かつて「ダイハツチャレンジカップ」通称"ダイチャレ"というジムカーナ競技会(※)がありました。
ダイハツのモータースポーツ活動に深く関わっていた株式会社DCCS(長野県佐久市に現存)が主催し、ダイハツ工業が後援していた「ダイハツ車だけの、クルマの大運動会」的なイベントで、ダイハツ車であればほとんどの車が、運転免許があれば誰でも参加可能というお気軽イベント。
サファリラリーでシャレードを走らせていたDCCSが、次の「チャレンジ」として、草の根モータースポーツを盛り上げていこうと始めたイベントです。最初は本当に少ない台数で開催されていたマニアックなイベントでしたが、回数を重ねるにつれクチコミで広まり。
インターネットでのオーナーズクラブ活動が盛んになった時期とも重なって、最盛期にはオーナーズクラブ単位で会場に多数のダイハツ車が押し寄せ、他のモータースポーツが下火になっていく中、関東戦ではエントリー台数が250台にも達した事もある伝説のイベントです。
しかし、最終的には北海道から沖縄まで全国で開催された"ダイチャレ"も、時代には勝てず・・・米国でのリーマンショックに端を発する猛烈な不況の中、2008年シーズン途中で遂に打ち切りとなってしまいました。
(同時に、ラリーやダートトライアルへのワークス参加など、ダイハツのモータースポーツ活動そのものも撤退)
※「ジムカーナ」=要するに教習所みたいなミニコースや、広い駐車場のようなとこにタイムアタック用のコースを設定して一台ずつ全開走行を行い、大きなサーキットでのレースに比べると低い速度でタイムを競う競技会。
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2009年、"ダイチャレ"は終わらない
"ダイチャレ"が終わった翌年の2009年。当然ですがそこにはもう"ダイチャレ"は無く。
しかし関東戦を引き継いだ"D3チャレンジカップ"や沖縄戦を引き継いだ"RACチャレンジカップ"など、「ダイチャレを続けていこう」という動きは始まっていました。
東北でも"ダイチャレ"で育った二人のドライバーが、宮城県村田町の小さなサーキット「サザンサーキット」で走り回って憂さをはらすうちに、一つの結論に達します。
「俺たちがダイチャレをやればいいんじゃないか?」
後のDCTM実行委員長・兵藤忠彦と、副委員長・立川雅一です。
2009年11月22日にサザンサーキット開催された小さなプレイベントに集まったのはたったの16台。
そのイベントの名は「ダイチャレ東北ミーティング」略して"DCTM"
「俺たちがやりたいのは"競技会"じゃない。"ダイチャレ"の時みたいに、みんなで集まってワイワイと下らない事を話して、自分の順番が来たら走って、それをまたみんなで冷やかす。そんな"オフ会"や"クルマ好きのミーティング"みたいなイベントがしたいんだ。」
そんな想いが、イベントの名前に込められました。
MCはダイチャレに引き続き、仙台のローカルタレント、ワッキー貝山。
「みんな!ダイチャレやりたいかー!!」
奥羽山脈にワッキーの声が響き、パドックに集まったエントラント(参加者)が「応!!」と堪える。
これだよ、これ!ダイチャレはこうじゃなけりゃならない。
手応えを感じると共に、2010年からの"DCTM"本格開催が決まった一瞬でもありました。
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2010年、手探りの中で"DCTM"開幕
2010年に始まった時は、ほとんど"ダイチャレ"の形をそのまま引き継いだ"DCTM"。
「4ヒート(4回)走行の合計タイムで順位を決める。」
「脱輪はペナルティを取らない」
「パイロンタッチは2本連続以降からペナルティ("ダイチャレ"東北戦独自ルール)」
「クラス分けも軽NA・軽ターボ・普通車・レディース。台数少ないから駆動方式では分けない。」
予算の問題で会場こそ仙台ハイランドからサザンサーキットに移したものの、"ほぼダイチャレ"。
ただ、"ダイチャレ"がなくなって1年の間に既にダイハツ車を手放してしまったかつての参加者もいた事から、元々ダイハツ車オーナーであれば他メーカー車でもOKの「OBクラス」が設定されました。
これが後のDCTMの性格を決定づけていきます。
2010年を通して3戦を開催し、「"ダイチャレ"の後継イベント」としての認知が進み。
「よし、"ダイチャレ"東北戦と言えば伝統のナイターだ!来年はナイターやるぞ!」
と迎えた2011年に大事件が起こります。
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2011年、東日本大震災を乗り越えて
2011年3月11日14時46分。
東日本一帯を遅い、2万人近い死者行方不明者と共に東北から千葉までの太平洋沿岸部を壊滅させた「東日本大震災」。
DCTMも当然無縁とはいかず、安否の取れない関係者、連絡道路の一部が損壊したサザンサーキット、ガソリンをはじめとした物資の欠乏、通行再開の目処が立たない高速道路。
さすがに震災直後は
「今年の開催が可能かどうか、今の段階では何とも言えない」
とのコメントを出さざるをえませんでした。
それでも4月に入り物流の回復と高速道路の再開に伴い、2011年度の開催を決断します。
「世の中自粛ムード?こっちは被災地なんだから、むしろそんなもん吹き飛ばせ!」
5月22日の開幕戦には開始以来最多の44台が集まり、遠く西日本から復興支援を兼ねて駆けつけてくれた参加者の中には、寄せ書きした日章旗で応援してくれる方もおりました。
もちろんナイターも予定通り開催!
初めてのナイター戦はこれまた手探りで、ナイター設備の無いサザンサーキットで何とか開催すべく集めたバルーン投光器は出力不足で「暗い」の一言。
それでも、久々のナイターという事で凝った電飾をしてくれる参加者もいて、この年から毎年一回のお祭りとして定着していきます。
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2012年からは段階的に全メーカー・全車種を解禁!
2012年には参加台数の少なかった普通車の「GA」クラスと、ダイハツ車OBの「OBクラス」を統合再編。
新たに、「ダイハツ軽自動車以外なら何でもOK」の「そのた!」クラスを誕生させます。
「OBクラス」では存在した排気量制限も撤廃し、全メーカー・全車種に門戸を開き、
「全てのヒトとクルマにダイチャレの楽しさを!」
というコンセプトを追加していきます。
元々は2011年のナイター戦の最後に行われたフリー走行で、メルセデス・ベンツのEクラスやセルシオ、スカイラインGTまでが本気でタイムアタックしにきたのを見て
「あーみんなタイム計測とかしてみたいよね」
という事で解禁したのですが。
これが2014年にはLN(軽NA)LT(軽ターボ)での「ダイハツ車縛り」を撤廃し、いよいよ全クラスで「全メーカー自由」となります。
結果として玉石混交、様々なメーカーの多彩な車種が同じクラスでタイムを競ったり、はたまた
「今日は家族サービスの日なので大きな車で参加!」
なんて事も起きたりで、
「買い物クルマからレーシングカーまで、何でもアリのクルマの大運動会!」
のコンセプトにはブレが無く、今後も続いていくことでしょう。
2015~2016年は若者主体のチーム「笹谷部」の運営でしたが、2017年に限り運営主体「DCTM実行委員会」が713R's GARAGEに復帰!
2018年以降は新たに主催したいという申し出もありまだまだ不透明なものの、DCTMはまだまだ続く…のか?
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